9.物書きになりたい。どうしても、なりたい

赤瀬川原平さんのやっている考現学教室は毎週土曜日の夕方六時から始まった。
と、いっても六時ぴったりに始まるわけではなくてなんとなくダラダラと、人が集まり赤瀬川さんも様子を見に顔を覗かせて
「じゃあはじめますかあ?」
と言うのがいつものスタイルだった。
甲類の焼酎が机の上にドンと置かれそれをチビチビ飲みながら授業は始まる。
といっても出席をとるわけでもなく、その日にやるカリキュラムが細かく設定されているわけでもなかった。
ぼくは前の年に一年、この授業を受けていた。
しかし、一年通っただけではほとんど、先生がなにを言っているのか
うまく飲み込むことはできなかった。
その翌年は赤瀬川さんの仕事が忙しくなってきたこともあり、講師を他に迎えて授業を進めることになっていた。
講師は赤瀬川さんの知り合いが多くたとえば南伸坊さん、渡辺和博さんもその中にいた。
そこで、だれか助手を、ということで
ぼくは前の年の終わりにその助手に立候補をしたのだった。
そうすればもう一年この教室に顔を出せるし、赤瀬川さんの話も聞ける、と思ったからだった。
とにかくなにか東京にいる引っかかりが欲しかったのである。
大島では親戚をあげて、ぼくのこの訳の分からない
「物書きになりたい」という話に反対をしていた。
しかし、ではなぜ反対をするのか?
とその一人一人に問うてみれば、だれにも答えることができない。
とにかく父のあとを継いで店をやるように、と皆は口を揃えて言った。
しかし、それはできない、とぼくは思っていた。
思いこんでいた、と言ってもよかった。

つづく