10.とにかくチャンスが欲しかった

赤瀬川さんの考現学教室の助手はなにをすればいいのか、はっきりとした仕事はないようにも思えた。
と、いうか、なにを手伝ったらいいのかぼくにはまったく判らなかった。
よく覚えているのは、渡辺和博さんの授業のことである。
渡辺和博氏と言えば、マルキンマルビで有名なあの「金魂巻」という本を書いた人である。
赤瀬川さんの考現学教室の二期生で本人に会えるのを楽しみにしていた。
が、実際に渡辺さんが来て授業になると、生徒が誰も喋らないのである。
もともと美学校に来る人々は暗めの人が多く、喋ってもボソボソと
静かに喋るひとが多かった。
ぼくは元来商売の家に生まれ育ったので人前にでるときは明るくはきはきと喋るように子供のころからしつけられていた。
ところが美学校に来てみるとどうも、そういうもんではないらしい、
という空気がそこ、ここに漂っている。
しかしそうかといって、暗くなれるものでもなくいつも居心地の悪さを感じていた。
しかし助手になって教室に入ってみるとその年の生徒はさらに喋る人がいない。
渡辺さんが生徒に発言を求めても誰一人喋らないのである。
その空気があまりにも重く、ぼくもなにを言ったらいいのか判らなくなってしまった。
すると渡辺さんもへそを曲げてしまって
「いいよ、俺も黙っているから」
と言って本当に教室はシーンとしたまま時間だけが過ぎてゆく。
まずいなあ、と思いながらも、ぼくはなにひとつ渡辺さんの手助けをすることはできなかった。
いつもなら帰りには近所の居酒屋でみんなで飲むのだけれどその日は、気分が重く、飲まずに練馬のアパートに帰った。
帰ってもだれが待っているわけではなく週一度の人に会える日も、喋ることなく部屋に戻ってきてしまった。
助手といってもボランティアでお金が貰えるわけでもなかった。
またしてもウイスキーをそのまま煽って暗い部屋でテレビの画面を見つめていた。

つづく