11.いよいよ危なくなってきたぞ、と自分のことを考えた

朝起きて、テレビを付けると松田聖子と神田正毅の結婚式を中継でやっていた。
ヘリでその模様を上空から写しだし、アナウンサーが興奮した、うわずった声でマイクになにやら喋っていた。
その画面を眺めていて、なんとなく自分が変だ、と言うことに気が付いた。
自分が今見ているテレビの画面が、一体なんなのか判らないのである。
今、これを見ている、その状況がよくわからない。
それに自分がこの部屋の中に、なぜいるのかもよくわからなかった。
目の前の風景と、今自分がここにいるその関係性が、まったくといっていいほど理解できないのである。
こういう事は今までもたびたびあってそのたびに、その風景を人ごとのように眺めていた。
それが始まったのは、たぶん小学校に上がったころなんじゃないか、と自分では思っている。
自分がみているこの眼の前の風景は自分が見たいから見ているわけではないのだ。
自分とは、何の関係もないけれどしかし見る必然はあるのだ、と思っていた。
自分の身体のなかには小人がたくさん棲んでいてその人たちに、そとの風景を見せるために自分は生きて動いているのだ、と思っていた。
だから学校にいくのも、友達と遊ぶのもプールで泳ぐのもすべて小人のためだ、と考えていたのである。
その感覚が突然蘇ったので危ないなあ、と思ったのだった。

つづく