大学を卒業して、それと同時にいままで働いていた神楽坂の酒屋さんも退職した。
昼間、働いて夜に大学に通うという生活を四年間してきて思ったことは
「書く時間がもっと欲しい」
ということだった。
それまで、酒屋で働いていた職場の仲間と一緒に毎年一回文集を作っていたのだけれどそれはほとんどぼくの自己満足でやっていたことだった。
「記念になるから」
と働いている人すべてに原稿をかくよう、強制し,しつこく迫った。
じつは原稿書きより編集者のほうが向いているんじゃないかと思うときもよくある。
書き手をおだてたり、すかしたり、するのはまったく苦にならなかった。
原稿書きになってからも新人の編集者と組むときは
「まず、原稿を誉めるんだよ、それから直しを頼むんだよ」
と教えた。
新人はとかく気負って自分の意見を言おうとする。
が、なにがあってもまず誉める。
それから、自分の意見を言えば、喧嘩になることはまずない。
そんなことをなんで俺が教えなきゃいけないのよ?
と思うのだけれど、新人編集者はそんなことも教えて貰っていないのだ。
話がそれた。
それで念願が叶ってそれまで居た会社の寮を出て練馬に六畳一間のアパートを借りた。
一ヶ月二万六千円で、それなら今まで貯めたお金で払えるな、と思ったからだった。
しかし、いざ書こうと思うとなにも書くことがなかった。
ぼくは重大なことに気が付いて居なかったのだ。
書きたいことがあって、机に向かうのではなく机に向かうことに憧れていたのである。
それが間違いだ、と判ったころには完全に頭がいかれてしまっていた。 |