初出:日経BP社、日経アーキテクチュア

13.左官のケリはライト流

仕上げ工事にまでこぎ着けた。
ここで出番となったのが施主と設計者と
その友人・知人が寄り集まった「縄文建築団」だ。
32人の素人集団の働きぶりはいかに。






・・漆喰をこねる作業・・












・・壁に漆喰を塗る・・












・・竹串で表面を引っ掻く作業・・

 その日が来た。土・日の一泊二日。縄文建築団が始動する。といっても,32人のシロート集団はどう始動するのが正しいか。プロとちがい,一斉にというわけにはいかない。小さな現場に指揮系統もなく顔も見知らぬシロート全員が一度に集結したら,右往左往するばかり。
 さいわい,そこはシロートの非営利活動。人によると仕事の都合もあるし,最長老の赤瀬川原平翁なぞは「還暦すぎると朝早いのはつらい」。で,主力部隊のスタート時刻は一応決めるものの,各人の都合に合わせて来てもらう。このバラバラ現場入りは工事手順のうえでも好都合。先に入ったメンバーが各仕事ごと少数グループに分散し,私と大嶋の指示でそれぞれ作業をはじめるわけだが,いざやってみると人の並び方,作業台の高さ,道具,材料手順などなど問題が出てくる。それを改良し,適正解が分かるまでは少人数の方がありがたい。工事現場で,準備が悪くて,することもなくボーと立っている人がいるのは見たくもない。初期故障を克服し,作業が順調に流れだしてから人数が増える方がいい。バラバラ現場入りは,朝礼からスタートするプロの建設現場では絶対に許されないが,シロートの場合はかえって好都合なのである。

 縄文建築団の引き受け作業は,外まわりでは壁の草ナマコ取り付け,インテリアでは天井と壁の漆喰塗りとクリ材を使ったロフトの仕上げ,それと屋根の一部も手伝った。
 今回は,インテリアの漆喰塗りについてその仕事ぶりを述べてみよう。
 前日,現場入りした藤森と大嶋は,諸道具と諸材料をチェックし,さらに足場をシロート向きに強化する。一番こわいのは落下だから,踏み板の板数を増やし,手すりのないところにはロープや角材を取り付け,さらにネットを張る。プロは平気でパイプ足場をよじのぼるが,シロート向きに階段を増やし,ちょっとした落差のところには踏み台用にビール箱を置き,針金で固定する。
 そして翌朝。朝一番の飛行機で着いたメンバーと大島組が9時に現場に集結し,あいさつもメンバーの自己紹介もなく,大嶋の手配にしたがい,持ち場に就く。
 室内の漆喰塗りは,先発メンバーが南伸坊,谷口英久,村田真,青山久志,坂本章弘,小泉邦彦。室内といえど2階分吹抜けの天井は高所作業かつ天井面に塗るのは楽な作業でないのに,その体付きも顔の様子もけっして向いているとは思われない南伸坊を投入した背景にはちょっとした歴史がある。赤瀬川邸,秋野不矩美術館の二つでは,南さんは女性陣に交じって地上仕事に従事し,その笑いのセンターとして活躍してきたのだが,次のザ・フォーラムのとき,また女性陣に交じってもらおうと思ったら,オレももっと建築っぽいのを,ともらされた。で,最前線に加わってもらうと,その日の作業の終わるころには,群を引っ張っていた。
 で,今回の漆喰塗りは,オムスビ顔がトップで,次が施主,本誌編集者(現日経ホームビルダー),自然塩作り。左官セミプロの青山,小泉の二人は,漆喰をこねる方に回る。
 一連の漆喰作業のなかでは,薄く真っ平らに素早く塗ることを捨てると,調合が一番むずかしい。理由は至極単純で計量しないからだ。神長官守矢史料館の工事ではじめて左官のお手伝いをしたとき,モルタルの色を決めるのに,計量カップも何も使わず,カンコーヒーのカンの口を切ってコップ代わりにし,白セメント1袋に色粉(いろこ)カンコーヒー何杯とやっているのに驚いた。粉体を体積で量ること自体がいい加減で,本当は重量でやらないといけないのに。追加の白セメントを半袋作るときは,目見当でカンコーヒーのカンの中ほどまで。発色が微妙な色粉でこうだから,ふつうの漆喰と水の調合など計量的にはいい加減をきわめ,ホースを突っこんだり,ヒシャクで適宜入れたりしている。
 これではいかんと思い,自分でやったとき,重さを計量しようと思ったが,やめた。いちいち計りにのせるのは面倒だし,大量になるとそんな大型計りを現場にだれが持ち込むか。
 一定の容器を使った量の計量も現場向きじゃない。もう少し追加とか,下地の水の引きが強いからゆるくしてとかの要求が塗り手からどなり声で来ると,すぐ作って届けないと,たちまちコテはとまってしまう。量もいちいち計量などしている余裕はない。そのときの条件,要求に合わせ,臨機応変,カンと経験で水加減を調整し,練り上げるのが正解で,シロートにはなかなかむずかしいのだ。粉体と水を混ぜて適切な固さに練り上げるのがいかにむずかしいかは,自分でソバを打ったことのある人は分かるはず。

 まず下地材を塗る。天井面への漆喰塗りは,左官にとってトラウマに近く,おそらく何度も剥離(はくり)を味わったせいだろうが,とにかく落ちないように落ちないように,下地材を工夫したりノリを強くしたりするのだが,私はジョイントVなるセメント系下地材を塗る。熊本農大学生寮の工事のとき,熊本では一般的だが全国的には知られていない下地材として使用をすすめられたが疑ってかかった。左官材料の発明工夫の歴史は,ウソで塗り固められているのを壁の神様と呼ばれた故山田幸一先生からあれこれ聞かされて知っているからだ。でもサンプルを見るとすごいので,熊本市内の本社に行き,社長の息子に実演してもらい,少しもらってきて自分でも試し,感服したのだった。とにかく,ガラスでも金属でも発泡スチロールでもこれを薄く下塗りした上に漆喰を塗ると,剥離しない。熊本農大寮では防火鉄扉に塗り,ザ・フォーラムでは割り竹を塗り包んだ上に漆喰を塗り,そこに木炭を取り付けたし,竹中の監督が実績がないとちゅうちょしたが,瑕疵にはしないからとステンレスの防火扉に使ってもらった。今のところ問題はない。これで日本の左官は堕落する,そういう下地材だが,腕も経験もないシロートにはありがたい。私は思うのだが,建設にかかわる道具や材料の開発はプロをシロート化する方向に進んできているんじゃあるまいか。その道を突き詰めると……
 室内は大嶋にまかせていたので,外まわりの初期故障を克服した後,昼近くなって中に入ると,予想したより進行は遅く,下ではジョイントVを練ったりバケツで運び上げたりしている。どうしたんだろうと足場の上まで登ってゆくと,その光景は見るだにつらい。
 天井だからなんとなく空に近いイメージを持っていたのだが,目の前に展開しているのは産業革命の炭坑採掘現場のごとき光景。「地底みたいだナ」と私が声をかけると,南さんが「ハハ,イシイヒサイチの……」。でもだれも笑わない。
 窓がないから薄暗く狭いなかで赤みの強い現場ランプに照らされ,オムスビ顔と施主と編集者と自然塩作りのカルテットが,中腰になり,コテ台の上の灰色のジョイントVをコテに盛って天井に塗りつけているのだが,ヘルメットから肩から顔面から足場板はむろん灰色にポタポタ汚れている。天井ゆえに集まってきた熱気と,左官材料ゆえの湿気と,ジョイントVゆえのにおいと,自分たちの汗のなかで,声もなくゆるい動作を繰り返している。
 私もコテをとってやってみる。ジョイントVがこれほど扱いにくいとは。漆喰を粘土とすると砂利に近い。ヒビ割れ防止用に入っているガラス繊維のせいなのだが,ザラザラして伸びが悪いうえ食いつき(壁への付着)がいちじるしく悪い。ちょっと厚すぎたり,コテの運動が悪いと,すぐボタボタと垂れて落ちる。扱いにくい材料を天井面に塗るのだから二重の苦労。天井面作業というだけで壁に比べ2倍は遅いし,ジョイントVでまた2倍とすると,4倍も作業能率が悪い。
 何とかしなくちゃと考えるが,いかんともせんかたなく,手伝うのみ。その間,一人は休める。

 昼過ぎまでかかってやっとジョイントVの下地塗りが終わり,遅い昼食の後,漆喰に取りかかることができた。
 上向き姿勢を強いられる天井はあいかわらず苦しいが,硬化しはじめたジョイントVのおかげもあって食いつきはよく,スピードは速い。天井から壁へと移り,区分を決めて上から下へと各人それぞれ帯状に段階を追って塗り下げてゆく。地元の坂本さん以外の3人は,左官仕事ははじめてなれど,ジョイントV天井塗りという難関できたえられているから,コテ台に漆喰を盛る量も,コテで適量サッとすくって壁に押し付ける手ぎわも,平らに伸ばすコテの動きも,なんとかさまになっている。余裕も出てきて,足場板をまたいで座り,足をぶらぶらさせながらタバコでいっぷくの光景。
 漆喰方面すべて順調と,左官隊一同には見えていただろう。しかし,私は少しあせっていた。ノリ入りの調合済み漆喰とノリなしの石灰を等量混ぜて表面にテカリの出るのを抑えたのもよし,ザラッとコテ跡の残る肌もよし,なのだが,色が予想外の出方をしている。
 漆喰に切りワラを混入すると,わずかに黄色く発色し,ワラが表面に顔を出していい感じになるのはこれまでの仕事で実証済みだから,今回もそれでゆくことにし,ただし切りワラの形状を少し変え,土壁用の市販のワラスサを入れる。一本松ハウスのときはやってみたが,少量すぎてワラの顔出し効果が弱かったので,今回は大量に入れた。
 大量混入ははじめてなので,セミプロ二人の練り上げ作業に立ち会い,白い漆喰に細いワラスサが混ざる様を確認し,塗るのをしばらく見た後,外に出た。そして,2時間ほどして戻ると,塗った当初は白っぽかった壁が黄色に染まっている。練って貯蔵してある漆喰も,コテ台の上のも,わずかに黄色の段階をはるかに突破。
 理由は大量のワラスサ。細くくだかれたワラの細胞のなかから,黄色の色素がすみやかに浸み出し,2時間ほどの間に白い漆喰を黄色く染め上げたのだった。同じ原理でかの土佐漆喰も黄ばむのだが,比ではない。どうする。マッ,イイカ。これも自然素材ならではの現象といえなくもない。黄色といってもペンキの黄とはちがい,おだやかでやさしい。そう,草木染め。
 ワラスサではもう一つ困った。翌日の朝の話だが,下の方にくるにしたがい,ワラスサをしだいに増量し,ザラ付き度を強化していった。いっそ,極限まで入れてみよう。ワラが毛皮の毛のように壁から生えているような純ワラ仕上げを実現したいという昔からの夢があり,もしかしたらそれに一歩近づけるかもしれない。で,実際極限まで入れるとどうなったか。ワラのせいで固くなって,これ以上プロペラ(かくはん機)が回らなくなるまで入れて,それを塗ってもらったのだが,ワラがダマになって壁面に現れる。その段階までくると,コテがワラのダマを押しつけたら,もはや漆喰よりワラが優勢だから,ワラからジワッと白濁した水分がにじみ出るだけ。付着力はいちじるしく低い。ワラとワラが毛皮の毛のように立ち上がるなんて様子はさらになく,薄い漆喰とからみながら壁面にへばりつく。ベチャッ,音まで聞こえそうに汚くへばりつくだけ。藤森がひそかに試みたワラスサ毛皮化路線は挫折し,ワラの量は限界の一歩前まで戻してもらった。

 前日に戻るが,天井が終わり壁に取りかかり,一段分終わったところで,設計者は塗り上がった壁面を眺めながら考えた。これでしまいにするか,それとももうひとあらしするか。仕上がり肌のザラつき具合いをどのていどにするか。
 “ワラ混入”,“コテ跡残し”という旧来の左官が目をむくような漆喰塗りの道をこれまでの諸作で突き進んできた。もうそろそろこの路線の全体も見えてきたので,どっかでケリをつけたい。今度の左官仕事は,自力施工で小規模だから,ケリを試すには都合がいい。
 で,極限までのワラ混入をやってみたが,ザラつきは意外に出ない。かといって,コテ跡を三昔前の秀和レジデンスのスペイン風壁のように盛り上げるのはまことに品がない。
 設計者はさいわい歴史的知識には恵まれている。頭の中の“土系仕上げ”の引き出しから,“品のよいあらし”の棚を引き出してチェックしてみると,あるではないか。ライトのスクラッチ・タイルが。ライトは帝国ホテルのタイルを常滑で焼くときに一工夫をこらし,おばさんたちに竹串を持たせてタイル生地(粘土)の表面をスクラッチ(引っ掻く)させたのである。
 店に行って焼き鳥用の竹串を仕入れてきて,ハゴ板状の板の先に5,6本固定し,それで引っ掻いて筋を付けてみた。竹串を当てる角度でワラスサが筋にそって起きあがり,なかなかいい。