初出:日経BP社、日経アーキテクチュア

9.自力仕上げでクリを究める

堀口捨己,佐藤秀,白井晟一の名作を引き合いに,クリの魅力を説く教授。
ロフトはクリ普請でいくと宣言し,材料集めに奔走。







・・カクダイでの製材中の光景・・






・・並べられた柱材と梁材の全景。
左から藤森研の大学院生,藤森,谷口氏・・






・・大島での曲面カンナがけの光景・・

 施主の谷口氏と藤森と大嶋の3名は,父と子で,製材所を営むカクダイさんのところで,トラックに山積みされたクリの丸太を迎えた。
 建築用の丸太の扱いとしては,しばらく寝かして乾かすのが常道なのだが,そんなゆうちょうなことは言ってられない。午前に山から伐り出した文字通り水のしたたる生木を,午後一番で製材にかかるのである。
 まず“木取り”。この丸太から柱1本と厚板3枚をどう取ろうかと,最終用途を念頭において丸太ごとの挽き方を決めるのを“木取り”というが,これは設計者も参加した方がいい。昔は老カクダイと相談して決めたが,今回は若カクダイと相談。別に高価な銘木でもないし,節が目立ってもいっこうかまわない使い方をするから,うるさく考えずに,木の曲がりと断面のふくらみの偏りと寸法だけは間違えないようにしてその場の勢いで決めたらいい。かつてミズナラの大木を,さんざん考えて一番無駄のないよう木取りしたことがあるが,乾燥中に大暴れする板が現れ,予定が狂ってしまった。そこで慎重になるよりは,1,2割は捨てる気で木取った方がいい。そういう木取りなら設計者にもできる。
 まず,太くて素性のいいのを板に挽く。最初の1本の挽きはじめは,何回やっても心地よい緊張感に包まれる。台車に横たえられたクリの丸太が帯ノコに近づき,帯ノコが丸太の端に最初に食い付いたとき,チュンと音が立つ。木とハガネの出会いの一瞬。そしてあとは,ジュチュワーの連続音とともに帯ノコが丸太のなかをタテに通り抜け,抜けきると丸太の片側が切れ落ちて,木の中味がパッカリ現れる。
 木のいつが美しいといって,このパッカリにまさるものはない。何十年も中にとじこめられていた年輪が,はじめて空気に触れるのである。色も木肌の感触も,さわやかですがすがしい。クリの場合は,意外に白っぽく,甘い香りがかすかに立ちのぼる。粗くて灰色っぽい樹皮に包まれた丸太のなかから白い木肌が現れるのは手品というか桃太郎の誕生というか,病みつきになる。
 後で谷口氏から聞いたことだが,この最初の丸太が挽かれた時,
「ああ,これで後には戻れない」
と,胆がすわったそうだ。ニラ・ハウスの時,赤瀬川原平さん夫妻もカクダイで丸太を選んだときに同じ気持ちになったというから,どうも製材所効果というものがあるらしい。
 仮にコンクリートや鉄や土に買い付けや加工という段階があって施主と一緒に出かけても,木のような心に響く効果はないだろう。私のこれまでの自然素材の工事が,あれこれ定石破り,慣習無視を重ねながら,なんとか無事完成までこぎつくことができた理由の一端は,工事に先立ってまず製材所に施主と一緒に出かけたことにあるのかもしれない。
 次々に挽き立てられて現れる厚板を,施主と設計者の3名は,手渡しして運び,老カクダイの老人仲間の老フジモリが運転する軽トラに積み込むのだが,その作業中,施主の目が板に黒い汚れが筋状に付いているのをとらえて何かいいたそう。設計者説明の務めをはたさねばなるまい。クリの製材をすると,そういうことがある。クリ材はタンニン酸を大量に含み,それで耐水性も強いのだが,帯ノコの鉄分と反応し黒い鉄サビを生む。ちなみに言うと,クリのタンニン酸の酸化作用はそうとうなもので,クリの板に鉄針を打つと,釘が腐食して頭が飛ぶこともある。

 板につづいて柱の製材。中央の塔状部分の内部に1本で立つ独立柱。長くて,先の方が少し枝分かれしたのを選んで伐り出してもらってある。板の製材は,厚さを決め,丸太のなりを見て木取りをすれば終わりだが,柱の場合はそうはいかぬ。
 板とちがい柱には三つのタイプがあるのだ。まずは,丸太柱。面(めん)をとるにせよ取らぬにせよ,木の曲がりと凹凸を生かしたいかにも自然な柱の姿。その対極が丸太の四面を挽き落とした角柱。ふつうはこれ。丸太柱も角柱もそれぞれ面白いが,今回は
 〈タイコ落とし〉
 にすることにした。丸太の両側二面を挽き落とし,残りの二面は残す。断面がタイコに似ているからこう呼ばれるのだが,このところタイコ落としが気にいっている。丸太柱は自然っぽさが強くて自分向きと思わないでもないのだが,このところ各地で誕生している自然重視をうたう○○施設や○○館が,丸太柱をこれみよがしに使っているのがイヤなのだ。自然のままがいいなら,建築なんか作らなきゃいい。建築という人工の産物と自然の間をどうするかが現代の難題なのだ。丸太柱を自然派というなら,さしずめ角柱は人工派ということになるが,タイコ柱はその中間に位置し,そこんところに私は関心がある。
 工事上の理由もある。丸太柱はすべてが曲がっているから定規(基準線)がとりにくい。日本の大工さんはたいしたもので,立体的にうねる丸太を重ね合わせて小屋組を組むくらい平気でやってのけるが,それでも定規をとりやすい方が楽だ。それともう一つ,丸太柱だと壁や戸が側面に当たる時,凹凸ゆえに苦労する。この点,タイコ柱はいい。平面の二面に墨を打てば定規になるし,壁や戸もそこに当てれば角柱と変わらない。
 で,独立柱用の丸太は,先の方の枝分かれを生かすような向きでタイコ落としに挽いてもらった。ロフトへ上る階段の踏み板を支えるササラ材も,タイコ落とし。四方を落として角柱状にしたのは,独立柱にからんでロフトの床を支える梁材と根太材用が数本ずつ。

 午後いっぱいかけて挽き終わると,次は乾燥が待っている。樹液もしたたる生木を挽いたが,柱や板として使うには生木のままではまずい。乾燥をしないといけない。
 木材についての本を読むと,乾燥についてうるさく述べてある。木を生かすも殺すも乾燥しだい。含水率は10%以下にしたい。
 したいのは山々なのだが,10%以下なんてのはおいそれと到達できる数値じゃない。樹液したたる含水率100%の太いタイコ柱を自然乾燥でそこまでもってゆくには,日当たりのいい軒下でも5,6年はかかるだろう。人工乾燥でも,板ならともかく太い柱材なんかおいそれと中まで乾いてくれない。
 十分に乾かないとどうなるかというと,反るは割れるはの大騒ぎが起こる。先に述べた自宅用にナラの大木から板をとった時の大騒ぎについて述べると,テーブル用にと考えた1メートル幅の厚板に最大2センチの反りが出た。ヒビ割れの幅は木口で3センチ。床に張った50センチ幅の薄い板も,反りは1センチで収縮は4センチ。床の板と板の間に4センチもの溝が出来るのである。
 しかし,しかし,こんなことで自然素材への道をおそれたり引き返してはいけない。自然というのは,地面にヒビが入れば噴火するは,地面が反ると地震は起きるは,山脈が隆起するは,もともと大変な性格をかくしているものなのだ。板の割れ目から火が噴くわけでも,反り返って床が揺れるわけでもあるまい。木という自然素材は,どんなに割れても二つに分かれることはないし,いくら反っても裏返しになったりはしない。おとなしいものなのである。
 私も自宅以外では反りと割れはできるだけ少なくするよう注意し,さいわいトラブルは起こっていないのだが,今度の場合,ちょっと心配がある。乾燥期間が数カ月にすぎない。タイコ柱は,乾燥収縮に対称性があり,反ることはないが,板の方はそうはいくまい。カウンター用の厚い大盤とロフトの床用と階段の踏み板用は,短い期間でもできるだけ乾かしてあげないと。
 実は,私は,現在の木材界の乾燥重視の姿勢については,常にそうでなければならないとは考えていない。材の使う部位と使い方によっては大丈夫なのだ。独立柱なら,床や天井や梁材との接合点さえ安定していれば,あとは反ろうが割れようが強度には関係ない。床板の反りだって,実(さね)でついで側面から斜めに隠し針を打つようなコソクなことはせず,堂々と,板の脳天からビスをネジ込み,ビスの頭はダボで隠せばいい。実(さね)継ぎだと細身で神経質な板張りしかできないが,脳天ビス止めならどんな幅広い厚板だってしっかり固定できる。厚くて広くて力強い板なら,ダボの存在は気にならないし,むしろ模様として楽しめる。収縮によるすき間だって,私の家のように4センチは困るが(漆喰を詰めています),1〜2ミリなら実用上,問題はない。
 自然素材というのは,もともと工業材料のように人間のために存在しているわけではないから,不整い,暴れ,偶然,意外,は付きものなのだ。むしろ,そうした性格を生かすようにして,正確にいうと半分生かし半分殺すようにして使うのが基本と心得よう。そうすれば,きっと木も土も石もほほえんでくれる。

 話は先へと進む。数カ月してそこそこ乾燥したわれらがクリ材は,どうなったか。すでに大島の現場では工事は始まっており,中央塔状部分の立ち上がりに合わせて,トラックと船を乗りついで大島に運ばれた。ちなみに大島へはフェリーが運航していない。そして大工さんによって刻んだり切ったりの加工を加えられるわけだが,その前に,仕上げを決めないといけないし,場合によっては設計者と施主の自力仕上げになる。結局,すべて自力仕上げとなり,汗をかくことになるのだが,どういう仕上げに決めたのか。
 柱や板の表面をどう仕上げるかについては,これまであれこれ試みてきた。日本の伝統木造から見ると,メチャクチャなこともした。秋野不矩美術館の玄関ホールの独立柱で試みたチェーンソーで削りバーナーで焼く仕上げなんか,もう一度やるかと聞かれたら,ちょっと考えさせていただくだろう。木という素材の表情の可能性をとことん引き出してみたいから,どうしてもヘンなこともやることになる。
 そうした経験をへて,現在は,焼いたり色を付けたりする仕上げは除いて,木の仕上げには密から粗まで6段階あると考えている。使う道具の刃先に応じてこの6段階は決まる。
 一番緻密なのは,カンナによる仕上げ。たいていはこの仕上げによる。私も,こと床についてはこれ。いかにもていねいに仕事をしたようだし,手仕事の場合は技術的にも高度だから,古来,木の仕上げというと真っ平らでツルツルが最高とされてきた。しかし,現代では,真っ平ら,ツルツルは機械こそが得意で,自動カンナの“超仕上げ”によるとどんな堅木でも逆目でも一流の大工以上に仕上がる。もはや真っ平らには手仕事らしさはないことを自覚したほうがいい。
 二番目は,帯ノコで挽いたままの仕上げ。平らではあるが,カンナとちがいツルツルにはならず,凹凸した筋がうすく残る。この筋はノコギリの刃のアサリ(左右への振り分け)によるものだから,いくつかの歯先のアサリを強くすれば,ある間隔ごとにいろんな深さの筋がつき,表情に変化が生まれる。一度,カクダイさんにお願いしてみたことがあるが,帯ノコが1本ダメになるからとやってくれなかった。
 三番目はサンダーがけ。丸サンダーと平サンダーの二つあり,前者は帯ノコより粗くかけることもできるし,後者で目の細かい紙ヤスリを使えば,カンナ仕上げに近づく。
 四番目は,知らない人の方が多いかもしれないが,曲面カンナによる削り。この特殊カンナはチョーナ(昔の大工さんが足許に降り下ろしてた道具)を電動化したもので,丸太の表面をすくい取るように削ることができる。大工さんでも丸太梁を架けたり千鳥破風用の曲線を削るような仕事をする大工しか持っていないが,まことにいい道具だから,私も買ってしまった。現在,いちばん好きな木の仕上げで,何かというと愛用のを持ち出して使っている。
 五番目は,チェーンソー。これは説明するまでもないだろう。ザックザックと丸太の表面を削り落としたり,平らな表面にわざと刃先を当てて粗く仕上げたりする。私以外はやっていないようだが。
 六番目は,削岩機仕上げで,丸太の表面を側面からガッガッガッと厚くはぎ落とす。クリの丸太で試してものすごく粗い仕上げになった。さすがに私もまだ仕上げ用にはやってないが,いつかはきっと……。
 以上の六つの仕上げのうち,今回は,帯ノコ,サンダー,曲面カンナの三種で仕上げることに決めた。帯ノコは製材所段階ですでにすんでいるから,大島の現地でやるのはサンダーと曲面カンナ。そして両方とも結局自分たちでやることになる。サンダーはともかく曲面カンナは大好きで,こんな面白い仕事を大工さんに渡すわけにはいかない。