鉄パイプ足場を転用してちゃんとした建築構造を組み立てることはできないか。この思い付きにはけっこう入れ込むことになる。すでに誰かやっているだろうと思い調べてみたが,どうも先例はない。石山修武なんかやりそうだが,コルゲート以外に他領域転用構造は試みていないようだ。
こういう方面に詳しい内田祥士に相談すると,「宇野求が鉄筋でオフィスビルを作っていたが,構造体用に開発されたわけではないレールとか鉄筋とか仮設用パイプとかで本設の建物を作るのは慎重に進める必要がある」。まったくそのとおりで,鉄骨構造や鉄筋コンクリート構造が,アイディアの段階から本当に大丈夫になるまでの間に,どれほどヘンな考案が生まれては消え,失敗が繰り返されたかを知っているだけに,心してかからないと。
共同設計者の大嶋もこのアイディアに興味を持ち,こういう雑種的構造に関心のありそうな構造技術者を探して,可能性を検討してもらうことにした。そして,大嶋は,適任と思われる構造家に出会い,やってくれる感触を得ることができた。
足場用パイプの構造的可能性の件は大嶋の担当とし,私は,そのパイプ単管の表面にどう仕上げを取り付けるかのディテールの検討に入る。ディテールというよりは,図画工作的工夫の世界。この辺はそうとうに好きで,神長官守矢史料館とタンポポ・ハウスは内田祥士にまかせたが,ニラ・ハウスからの大嶋との共同仕事では,積極的にあれこれ考え,試作し,なんとか実現までこぎつけてきている。
単管の表面に,仕上げとその下地を取り付けるのはそう簡単にはいかない。鉄筋コンクリートの場合はもっと難しかったはずだが,さまざまなアンカーや接着剤が発明工夫されて,今では木でも石でも何でも取り付けることができる。ところが単管相手にそういう知恵が絞られた先例はなく,何かを取り付ける金物を見たことはない。足場に取り付けるのは看板と幕だけだから,ヒモでしばれば済むのだ。
まず考えたのは,単管にドリルで下穴をあけ,ステンレスのビスをねじ込む方式。これが出来れば,基本的には木の柱に何かを取り付けるのと同じことになる。木にくらべ,鉄は固く,単管といえどけっこう肉厚で,作業は手間どり,また,相手は円形だから,中心から少しズレるとドリルの刃先がすべって穴があかないことが分かった。加えて心配なのは,穴の腐食。メッキがないから,サビる。室内ならかまわないが,仕上げに草を植える予定なので,どうしても水が伝ってくる可能性がある。
穴をあけずに単管に下地用の桟の類やボード類を固定するにはどうすればいいのか。これはもう,しばるしかない。といっても綱や針金では滑ってズレる恐れがあるから,クランプ同様に絞め金物がいい。U字型の簡単な絞め金物で充分だし,特注してもそう高くはないはず。おそらく正解だろう。
固定方法の目途が立つと,次は,固定される桟かボードに何を選ぶか。金属系と木質系は腐食の心配があるから,どうしてもセメント系に絞られるが,コストと機能を考えると波板スレートあたりしか思い付かない。
U字型の絞め金物で波板スレートを固定し,その表側に土を薄く取り付け,その上にナマコ壁用の平瓦を貼り,目地に草を植える。なお,このヘンなナマコ壁については次回に詳しく述べたい。
ここまで考えて“イケル”と思い,98年8月18日に,そういうディテールを描いているが,それでも水と湿気の心配は念頭を去らず,図を見ると,「防湿シート」,「継目はブチルゴムシートでカバー」と注記している。
これでイケルと思ったのだが,ディテールに宿る神様は許してくれない。波板スレートがイケナイのだ。あの材料を使ったことのある建築家なら誰でも小さな後悔とともに思い出すように,板全体の強度は人が乗っても大丈夫なくらいあるのだが,細部での強度にいちじるしく乏しく,強い力が一点に集中してかかると,そこだけ簡単にくだけてしまう。セメント系の生まれながらの弱点だ。U字金物で取り付ける時,職人がちょっと強く絞めただけで穴の回りが破損するかもしれないし,土,平瓦といった水分を含むとけっこうになる仕上げの荷重はすべて波板スレートにかかりさらにU字金物を通って単管に伝わるわけで,波形スレートとU字金物の接点に荷重は集中し,地震でもあったら間違いなくスレート側の断面が潰れる。そもそも,単管の構造は剛性に乏しく,変形が大きいのだ。
セメント系がダメなら,耐水性合板あたりで何とかならないか。99年5月3日付のディテール図では,「構造用耐水合板 厚手のを二枚張り」の外側に「ブチルゴム」シートを貼り,その上に波板スレートの小波のを置いてさらに土と平瓦と草を取り付ける算段をしている。
事態は明らかに隘路に入り込んでしまっている。ディテールの神様は,私のこの図画工作の道を照らしてはいない。
こういう時は,引き返すにかぎる。
ディテールによらず,すぐれたアイディアというものは,細部まで詰めてゆくにしたがい,思わぬ利点が見えたり,二つの難題を一気に解消したり,どんどんどんどんいい方に転がって行ってくれるのだが,こんどのように,詰めても詰めても新たなトラブルが現れたり,詰めれば詰めるほど重装備になったりするのは,基本的な方向に問題がある証拠なのである。すみやかに撤退。
大嶋の構造的検討の方はどうなったのか。こっちの方は,技術的なことではなくて,大嶋と構造家との関係が順調にゆかず,撤退。かくして,足場パイプの建築本体への転用は不発に終わった。
今にして思うと,早めに撤退しといてよかった。やればなんとか出来たにちがいないが,構造と仕上げの両方で新しい試みに突入するのはたいへんすぎる。結局,仕上げだけでもヘトヘトになるのだから。
構造は素直に鉄筋コンクリートにすることにした。木造にしなかったのは,土ですっぽり包むには,心配が多すぎたからだ。構造強度的には大丈夫だが,防水,防湿には一苦労が予想されるし,そして何より白アリ対策はお手上げ。土と木が背中合わせで存在する恐怖。図面のうえでは大丈夫でも,アリのはい出るスキ間もないほどの施工は建築にはあり得ない。防アリ処理剤は,土台近辺だけなら目をつむるにしても,壁面全体には健康上とてもできない。東京に近いといえど,伊豆大島は黒潮に洗われる亜熱帯。温暖で湿気が多く,白アリ天国。
壁体はRC造にするが,ピラミッド屋根は,テッペンに椿を植えるだけで,後は銅板葺きの予定だから,木造で十分。高取邸(イッポンマツ・ハウス)でほぼ同様の構造と仕上げのピラミッド屋根をやって問題がなかったから,それをRCの壁体の上に乗っければいい。一本松を一本椿に変えて。
かくて立面,平面,構造,仕上げがほぼ固まったが,構造でウロウロしている間に,先行して決まっていた立面と平面に,小さいが視覚上には大事な変化があった。
まず,立面の変化から。
最初,中央の塔状の部分は,地上から壁面が二階分立ち上がり,左右の平屋部分は,胴体から伸びる腕のように取り付けられる予定だった。しかし,それではあまりに単調,かつ,中央と左右の一体性に乏しい。そこで,平屋の軒をもう少し前に出し,中央の塔にまでかかるようにする。こうすると,中央はズン胴でなくなるし,一体性が強化され,平屋の屋根を突き破って塔状部分が上に伸びる感じになる。
これで大嶋が模型を作り,眺めてみた。どうも気に入らない。単調さを否めないのだ。マスのとり方が昔の建物の感じ。まん中に大きなカタマリがデンと控え,左右に翼が伸びる。左右対称性と中央部の強調が,ネオ・バロック的というか,大時代的というか,歴史主義的というか。
私のデザインは,大筋“後向き”を旨としてはいるのだけれど,これではあまりにドンくさい。こと,マスのとらえ方については,モダニズムのやり方をにくからず思ってきたのに,その辺の微妙なところが表れていない。
実は,似た問題に,これまでも神長官守矢史料館と秋野不矩美術館で直面した。その時は,二度とも,方形平面の塔状部分を45度振ることで解決してきた。振ることで,変化が生じ,マスに動きが現れる。
今回も,結局,同じ手で解決を図った。
二度あることは三度ある。
45度振ると,平屋の軒と中央部の立ち上がる壁との取り合いが予想以上。左から来た軒先が斜めに途中で消えながら,少しとんで右の軒につながる感じがとてもいい。壁線と軒線の十字路。外壁の見せ場になるだろう。
45度振って平面を描き直してみると,予期したわけでもないのに,動線処理が改善される。これまで中央の塔の部分には窓があるだけだったが,振ってみると,入り口のドアーも来訪者の目にすぐつく位置にもってくることができる。建物の入り口は,その敷地に入ったらすぐそれと分かるような位置に取り付けないといけない。それでいて,ちょっと軒下の陰に隠れるくらいがいい。中央部の中枢的機能と左右の作業空間との分離と連絡も向上する。これまでは,左から右に行くのに中央部をつっきっていたが,45度振った中央部の後側角を少しヘコまして通れるようにするだけで,中枢と作業の動線を分離できる。左右の作業空間は,裏で一体化した。
外観上から考え付いた45度の振りだが,やってみると,平面上もまことにいい。足場パイプではしくじったが,このアイディアはいい方に転がってくれた。
そしてもう一転び。45度振って中央部分の独立性が高まると,中央部分の室内計画にも影響が出てくる。最初の予定では,高天井の二階分の吹抜け空間に,木造の中二階(ロフト)を差し出し,下を谷口夫人の事務用に,上を谷口氏の書斎にあてる。45度振ると,機能的には同じだが,ロフトの形に別の可能性が出てきた。これまでのように壁面に平行にロフトの床を張るだけでなく,対角線をつないで三角に張ってもいい。
二つを比べてみると,対角線をつないだ方が,45度振ったことが生きてくるように思える。で,そう決める。中央部分は,ピラミッド屋根の木構造を支えるためまん中に独立柱が立ち,それを支柱としてロフトが張り出される。
ここまで決めて,大嶋と打ち合わせると,底辺3間四方の木造ピラミッド構造なら中央の支柱なしでももつ,という。狭い縦長空間に独立柱でちょっと上方がうるさい感じがしていたので,独立柱をロフトから2メートルほど上がった位置までで止めることにした。機能上は,屋根構造は支えず,ロフトを支えるだけ。
途中で止める姿をスケッチして,思わぬ効果に目を見張った。四方を壁に囲まれ,上はピラミッド状に閉じる空間の中心位置に,柱が,ヌウと立つ。それも,頂部を宙空に突き出し,上には何も乗らない形で。
こういう柱のあり方は,これまであっただろうか。ないにちがいない。思わぬ成果!拾いもの。
これまで,柱という存在についてはずっと考えてきた。子供時代から諏訪大社の御柱を氏子として引いてきたことが影響しているのかもしれないが,日本の伝統的建物の構造的な生命は独立柱にある,との結論に達し,積極的に独立柱を試みてきた。赤瀬川邸(ニラ・ハウス)のアトリエには,クリの角柱を立て,秋野不矩美術館のホールには,杉丸太をチェーンソーで削り,バーナーで焼いた文字通りの大黒柱を立てた。諏訪大社の筆頭神官であった神長官守矢家の史料館では屋根を突き抜く柱をおっ立てた。
そして今度は,屋根を支えずその下で止まる独立柱。柱の構造的使命は,屋根を支えることだが,その屋根を突き破って上まで行くのも,屋根を支えずに下で止まってしまうのも,造形的,意味的には柱の重要なあり方なのである。実際やってみて,はたしてどうなるか。
以上で,すべてが決まった。次回からは,いよいよ実践篇。ナマコ壁を作り,クリの丸太を製材し,壁を塗り,草を植え……フッフッフ,待ち遠しい。